「別邸」という言葉を耳にすると、なんとなく背筋が伸びるような、重みのある響きを感じませんか。「別荘」であれば気軽な休日の住まいという印象ですが、「別邸」となると、そこには格式や由緒、誰か特別な人がそこで過ごした時間の厚みのようなものを感じます。実はこの言葉には、「別荘」とは違う背景があります。「別邸」という呼び方自体は、皇族だけのものではなく、かつては政治家や華族なども、本邸とは別の邸宅を構えており、財閥の別邸などはよく知られた例です。そこに共通するのは、単なる休憩のための建物ではなく、格式やもてなしの機能を備えた場であったということ。そのなかでも、皇族の別邸には、もうひとつ別の重みが加わります。
皇室には国費で建てられた「御用邸」という施設があります。侍医たちが静養のための施設を、と上申したのが始まりでした。戦前は全国に10カ所以上の御用邸があったそうです。これに対し、伏見宮、有栖川宮、東伏見宮、高松宮といった各宮家(皇族)は、御用邸とは別に、自分たち自身の財産で個別に静養のための邸宅を構えていました。これが「宮家の別邸」。国が用意した公的な施設ではなく、それぞれの宮家が建てた「私邸」です。だからこそ、そこには持ち主それぞれの人生や趣味、家族の物語が色濃く刻まれることになります。
その舞台として真っ先に選ばれた土地のひとつが、葉山でした。別荘地として注目されるようになったのは明治の中頃。外国人たちが海辺の風光明媚さに魅せられて別荘を構えたのが始まりと言われています。それを見た有栖川宮親王が気に入り、1891年、皇族として初めてこの地に別邸を築いたとか。以降、北白川宮、そして1894年の葉山御用邸開設を経て、東伏見宮、高松宮、秩父宮と、皇族の別邸が次々とこの地に集まっていきます。都心から程近く、海軍の拠点であった横須賀にも近い葉山は、静養の地であると同時に、皇族にとって「ちょうどいい距離感」を持つ特別な土地だったのかもしれません。昭和初期には財界人や政治家、文化人の別荘も加わり、その数は500棟近くにも及んだといいます。

相模湾を臨む葉山の町。奥まった別荘、別邸に至る「こみち」も葉山ならではの表情
そんな流れのなかで、1914(大正3)年に竣工したのが「旧東伏見宮葉山別邸」。建てたのは、海軍軍人として横須賀鎮守府の長官も務めた東伏見宮依仁親王。設計を手がけたのは、葉山御用邸の増改築にも携わった宮内省の技師・木子幸三郎。宮廷建築の技術が、国費の御用邸だけでなく、宮家の私邸である別邸にも波及していることも興味深い点ではないでしょうか。緑青色に色づいた銅板屋根と、真っ白なドイツ下見板張りの外壁が織りなす気品ある佇まいは、今も地元では「葉山のカサブランカ(白い家)」の愛称で親しまれています。その敷地は約8,600坪と広大で、洋館に寄り添うように和館や温室、東屋、果樹園までが並んでいたといいます。

緑青色の銅板屋根と白い外壁が美しい、旧東伏見宮葉山別邸。宮廷建築の技術が息づく洋館の2階からは、葉山のまち並みと海、その先に富士山を望みます
1922年に親王が薨去された後も、周子妃は別邸に暮らし続けていたそうです。皇族という肩書きの向こうに、一人の女性の暮らしがあったこと。それもまた、この別邸が単なる「立派な建物」ではなく、物語を持つ場所である理由のひとつなのかもしれません。
しかし、戦後になると、皇族の別邸を取り巻く状況は大きく変わります。皇室財産は国有化され、さらに1947年には多くの宮家が皇族という身分そのものを離れることになりました。それぞれの別邸は「一私人の邸宅」となり、相続や維持の負担から手放されたものも少なくありません。葉山にかつて建ち並んだ皇族の別邸も、そのほとんどが姿を消しました。東伏見宮家の別邸もまた同じ道を辿りかけましたが、この別邸(洋館)は宗教法人イエズス孝女会に引き継がれ、修道院として使われることで、奇跡的にその姿を今日まで残すことができたのです。とはいえ、老朽化や維持管理という課題も抱えていました。解体やむなしという危機に対し、地域のNPOや住民の声から継承活用へと活動が発展。観光庁の補助金と、エンジョイワークスが運営する地域活性化クラウドファンディング「ハロー! RENOVATION」などでの資金調達により改修工事を行い、昨年6月、一棟貸しの文化施設・宿泊施設として生まれ変わりました。

一見きれいに見える改修前の姿ですが、壁や床には傷みが進んでいました。往時の面影を大切にしながら改修を重ね、新たな滞在の場へと生まれ変わりました
皇族という「特別な誰か」だけのものだった邸宅を、地域に暮らす一人ひとりが「自分たちの宝」として守り継ぐ。全国には、担い手や資金の壁にぶつかり、解体されていく歴史的建造物が数多くあります。そのなかで、地域の熱意が、100年を超える建物の命をつなぎ止めた。しかもそれは、多くの「他人ごとではない」と感じた人たちの参加によって成し遂げられたものだと思います。これは、葉山という小さな町だけの話にとどまらず、日本各地の別荘地や歴史的建築が抱える課題に対する、一つの希望のかたちなのかもしれません。
関東大震災より前にさかのぼる皇族の別邸としてこの地域に現存するのは、この一棟だけ。所有者も、時代も、役割も変わりながら、この建物はずっと誰かにとっての「大切な時間を過ごす場所」であり続けてきました。宮家の私邸(別邸)として生まれ、修道院として静かに時を刻み、いま再び、地域とともに新しい記念日を紡ぐ場所へ。別邸という言葉が持つ重厚さと、それを未来へつなごうとする現代の温かさ。その両方がこの一棟のなかに同居しています。ここを訪れた人には、そんな時間の厚みを感じてもらえると嬉しいです。

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2026/10/27
2026/11/03