2024年4月、横須賀・野比海岸の東京湾沿いに、突然ピンク色の空間が現れました。自動販売機を思わせるデザイン枠、巨大なブランコ、そして海へとまっすぐ続く一枚のドア、そして「ヨコスカ」の箱文字。SNSでは「映えスポットができた」と話題になり、多くの人がカメラを片手に訪れました。けれど、このピンクの空間は、ただのアート設置ではありません。行政が長年抱えていた課題と、地域の未来をつなぐための、いくつもの「仕掛け」が重なり合った場所なのです。
かつて海水浴客で賑わっていた野比海岸の市営駐車場は、海岸浸食や観光動線の変化とともに利用が落ち込み、夏季以外は閉鎖されていました。横須賀市が公募で示したのは、違法駐車の防止、海岸環境の維持、そして地域資源の活用という3つのミッション。「困りごと」として扱われてきた遊休公有地に、どう新しい役割を持たせるかが問われていました。
この公募に応えたのが、エンジョイワークスと福岡のブルースカイ社による共同事業体です。福岡県の糸島で生まれたアートプロジェクト「#ジハングン」の手法を横須賀に持ち込み、市からの委託費0円という制約のなかで、駐車場収入を運営費に、クラウドファンディング「ハロー! RENOVATION」で集めた資金を空間づくりに充てるという仕組み。出資者が実際に現地でペイントに参加するイベントも行われ、「見る人」ではなく「つくる人」として関わる出資体験になっています。
官民連携が生んだ、この仕組みの面白さ
この取り組みが面白いのは、行政・民間・市民、それぞれの立場から見た意味合いが違うという点です。横須賀市にとっては、長年手つかずだった公有地を、税負担を増やすことなく維持できる仕組みに変わったこと。委託費をかけずに運営される公共空間というモデルは、同じ課題を抱える他の自治体にとっても参考になり得ます。ブルースカイ社にとっては、糸島で培った手法を、まったく別の地域・別の課題に応用してみるというチャレンジでした。
「映えスポット」として、レジャーで訪れる人もいますし、地域の人たちにとっては、通り過ぎるだけだった場所が、「参加できる場」に変わっています。「目的地」「地域のアイコン」として使われる場面も増えており、地元の風物詩であるマラソン大会の発着点、動物愛護団体のイベント会場として使われているほか、この秋には地元の人たちによる花火大会の会場になるとのこと。駐車場という機能を超えた使われ方の芽が出てきています。

マラソン大会のスタート地点として活用されるなど、地域のシンボルとして多くの人に親しまれています
なぜ、今、夏に行くべきか
夏の三浦半島といえば、三浦海岸をはじめとする賑やかな海水浴場に人が集まる季節です。けれど野比海岸は、その喧騒から少し離れた場所にあります。遊泳禁止のこの海岸は、泳ぐための場所ではなく、歩き、眺め、涼むための場所。椰子の木が並ぶどこか南国めいた景色と、東京湾の向こうに房総半島を望む眺望が、夏でも混雑しないまま広がっています。
日中の暑さがやわらぐ夕方は、この海岸がいちばん表情を見せる時間帯。海へと続くピンクのドアの向こうに夕日が沈む景色は、真夏の海水浴とはまた違う「涼」の過ごし方を提案してくれます。散歩やジョギングの途中、あるいは仕事帰りの寄り道に、少し腰を下ろして海を眺める——ピンクの空間は、そんな夏の夕涼みの目印にもなっています。にぎやかな海を求める人は三浦海岸へ、静かに夏を味わいたい人は野比海岸へ。ふたつの海岸が近接しているからこそ、この夏は行き先を選ぶ楽しさも生まれています。
「何もない」とされてきた土地は、本当に何もなかったわけではありません。そこにあったのは、誰も手を付けられずにいた「困りごと」でした。#ジハングン ヨコスカは、遊休公有地を単なる不動産としてではなく、行政・民間・市民の関係を組み替える装置として捉え直す、ひとつの試みです。このピンクのドアは、海への入り口であると同時に、新たな手法の実験の場所。この夏、横須賀の海沿いで、その扉を開けてみませんか。

最後の仕上げは投資家の皆さんとともに。多くの人の手で、「何もない」と思われていたこの場所に、新たな価値が育まれました
2026/08/04
2026/08/04