今年は、「カプセル再生元年」!? 1972年竣工の銀座「中銀カプセルタワービル」。2022年に解体され、救出されたカプセルたちは補修や改修を経て、いま、いわば第二の人生を国内外で歩み始めています。「トレーラー×カプセル」「美術品や建築遺産としての展示」「アートスペース×イベント会場」など、都心のビル街とは“全く違う空間”で、目にする機会が増えています。そして、私たちエンジョイワークスが手掛ける「カプセルヴィレッジ」は、世界で唯一の「泊まれる中銀カプセル」。横須賀の西海岸、長井海の手公園ソレイユの丘でスタートさせます。これらのカプセルを提供しているのが、元オーナーや住人らによる有志団体「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」。立ち上げ人の前田達之さんにとって、「カプセル」とはどんな存在なのか――。(聞き手:ENJOYWORKS TIMES 佐藤朋子)
――銀座の高速道路から見えるカプセルタワーの姿を印象的に覚えている人も少なくないと思います。前田さんの「カプセルとの出会い」は?
初めて見たのは、多くの人と同じように車窓から。当時は小学生。「なんだ、この建物は?」と子どもながらに興味がありました。そこから10数年後、現地近くの会社で働き始めて、毎日目にしていると、「中に入りたい」「あの丸窓からの景色を見てみたい」という願望が生まれたのです。中銀カプセルタワービルは分譲マンションと同じ。物件の売買もされていて、(記憶が違っていなければ…)偶然「売りカプセル」と書かれた電柱の広告を見つけて、購入を決めました。それが2010年のこと。2007年に管理組合で建て替えの決議が決まっていたのですが、なぜ売買できているのだろうと疑問を持ちながらでした。
私が購入したのは、B棟最上階(*A棟13階、B棟11階ふたつのタワーで構成していて両棟は複数階で行き来できた)。「見たい」と思っていた丸窓からの眺望は、高速道路のカーブ。ヘッドライトの光跡が目に入ってきました。「都市のセカンドハウス」という竣工当時のコンセプトと違わず、会社に近いということもあって私自身も「セカンドハウス」のような使い方をしていました。中の空間の「暮らし」は本当に楽しくて、住人はそれぞれのカプセルから見える景色を自慢したり、他の住人の室内の使い方やインテリアに刺激を受けたり、住人たちもおもしろい人ばかり。ここが好きな人たちとのコミュニティができていていました。
――「カプセル偏愛者」が集い始めた一方で、タワーとしての維持管理や老朽化、建て替えの議論など、結果としての解体までにも紆余曲折があったと聞いています
最初のカプセルの購入時に、既に建て替えが決まっていたのですが、その計画が進む様子もなくて、「それなら中から(保存に)変えていこう」と購入してすぐの2010年に、管理組合の役員(監事)になりました。各戸に議決権があるので、それを増やすため…だけではないのですが、コレクションのように買い足していたら、最終的に15戸になっていました。一時は保存の風向きもあったのですが、個人で活動していても継続的な発展につながらない。コミュニティが生まれる魅力的な建物なので「楽しい空間があることを知ってほしい」と、賛同してくれる住民の方などと保存再生の団体を立ち上げました。それが、2014年にスタートした「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」です。
カプセルに関する書籍を出版してメディアに取り上げてもらったり、(エンジョイワークスのファンドを使って)マンスリーカプセルとして運用したり。国内だけでなく、海外からも多くの人に「カプセル」に注目してもらいました。その間も、建て替えやカプセル交換といった議論も続いていて、大規模修繕が難しい構造や(住民の)区分所有という複雑なシステムもあって、乗り越えなければいけないことが多くありました。海外のファンドなどとも交渉していたのですが、コロナ禍もあって立ち消えに。そして結果的に、管理組合として、(解体して)土地を売却するという決断に至ったのです。
解体間際には取材にも多く来ていただき、関心を集めたのですが、私たちの次のミッションは、「外したカプセルをどのように後世に繋いでいくか」を考えること。腐食などもあって、傷んでいたカプセルも少なくなく、黒川紀章建築都市設計事務所の監修のもと、私たちのプロジェクトで23つのカプセルを修復しました。その第一弾として、2023年春には淀川製鋼所(ヨドコウ)が「動くカプセル」として、トレーラーカプセルに再生しました。これに続いて、国内外の美術館やアートスペースなど、ほとんどのカプセルの「行き先」が決定し、いまは、移設や公開を待っているところです。私たちとしても、「カプセルが置かれる意義のある、なるべく“良いところ”に」という思いがあったので、新たな場所での再生を嬉しく思っています。
――再生の形もさまざまですが、私たちエンジョイワークスと取り組むカプセルヴィレッジは、「泊まれるカプセル」という他にはないコンセプトです
(解体前の)カプセルタワー当時から、泊まれる施設を作りたいと思って議論していました。これとは別に、竣工当時、黒川氏と中銀グループの中に「カプセルヴィレッジ」という構想があったことにも起因しています。もともとカプセルは「取り外して動かす」ことをコンセプトとしているので、これをいくつか集めた「ヴィレッジ(集落)」にする、というのは、そもそもの思想とつながっているのです。
肝心の場所ですが、やはり重要視したのはカプセルの丸窓から見える風景。カプセルの旧住人から「海が見たい」という声も聞いていたので。設置場所のソレイユの丘(長い海の手公園/横須賀市)は崖の上に広がる公園。私たちもその風景にはこだわっていて、位置づけ・意味づけとしてはベストな立地だと思います。高台のカプセルに横たわって丸窓から海を見ると、宙に浮いているような感じになるのではないでしょうか。
さらに今回は、5つのうち4つの内装デザインを公募しました。募集期間がとても短かったにもかかわらず、小学校3年生から70代まで、建築や設計、インテリアに携わっている人以外にもたくさんの応募がありました。私も審査させていただいたのですが、建物自体の人気や関心はもちろん、それぞれの「カプセルへの想い」が所々に込められていて、「こういう見せ方があったか!」と、ものすごくワクワクしています。
――「カプセル」を題材にアパレルとコラボしたアイテムやオマージュしたアートなど、違う分野にも派生していて、新しい「カプセルファン」も生まれています
いまは、「取り外されたカプセルたちが再活用されて、黒川氏のメタボリズムやカプセルの思想を伝えていく」という“第二の人生”を、体現している段階とも言えるでしょう、5月に都内で行われた東京建築祭(築地にある松竹の「SHUTL」に所蔵している2つのカプセルのイベント公開)には、多くの人が集まりました。私もトークセッションに参加したのですが、高速から見える姿に衝撃を受けた世代だけでなく、建築デザインという分野を通り越して、その思想や「カプセル」そのものに興味を持った人など、解体後の「その後」に、もっと裾野が広がったという印象です。
タワー現存時は、海外からも取材や視察に多くの人が訪れました。ビルのツアーもすぐに予約が埋まるほどでした。ひとつの建築物がこれほどまでのコンテンツになることはあまりないと思います。「再生」の行き先として、国内外の美術館で収蔵する例も多いのですが、「カプセルヴィレッジ」をふくめて、50年100年後、後世につなげながら多くの人に体験してもらう機会があるのは嬉しいこと。 “中銀タワー”時代を知らない若い建築家、デザイナーが刺激を受けて、新たな建築物が生まれる。それを自分たちなりの発信につなげてほしいなと思います。
カプセルはもともと、「ビジネスマンのセカンドハウス」というコンセプトで最小限の機能を詰め込んでいました。しかも、そのカプセル自体を動かす、新陳代謝させるという思想も併せ持っていました。いまでは(コロナ禍もあり)、タイニーハウス(小屋)やミニマリズム、多拠点居住などライフスタイルも柔軟に変化しています。
黒川氏は、建築家であり、クリエイター。さらには建築の枠にとらわれない人で、先を読む力があったのだと思います。解体されて、一つの「カプセル」として多くの人の目に触れるようになって、やっと時代が黒川氏に追い付いてきたのかもしれませんね。
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カプセルヴィレッジのプロジェクトの具体化に向けて進め始めた頃、そのロケーションのイメージとして前田さんがふと口にしたのが三浦半島でした。現在は、自治体(横須賀市)やソレイユの丘の運営事業者との調整を進めている段階です。こうして、国内外で新たな「居場所」を持ち、溶け込んでいくカプセルたち。「各地のカプセルを巡る旅」が新たに生まれるかもしれません。「なぜ私たちは、丸窓と、この四角の箱にこんなにも魅かれるのか」――。それを頭に思い浮かべながら。
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8月中旬から「カプセルオーナーになれる!」ファンド募集開始、「泊まれる中銀カプセル」4つのデザイン案が決定!
(7/9付PRTIMESリリース)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000061795.html
前田さんが代表を務める「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」ウェブサイト
https://www.nakagincapsuletower.com/
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