「洋館」と言われる日本独自の洋風の建物。明治時代以降、西洋の建築技術やデザインが取り入れられてきました。多くの技術者が招かれ、その指導のもとで華やかな装飾や柱、広い窓が特徴の洋館が建てられたのです。大正期はアール・ヌーヴォーやアール・デコといった装飾性の高いデザインが“流行”し、官邸や公共施設、富裕層の住宅として広がりました。昭和に入ると、単なる西洋建築の模倣にとどまらず、日本の伝統的な建築文化と融合し、独自の「和洋折衷」スタイルを築き上げました。これらの洋館は明治以降の日本の歴史や文化の変遷を象徴する建築物として、現在も保存・活用が進められています。
ただ、そういった建物を守り継ぐのはとても大変なこと。国や自治体の登録文化財として指定されているものも少なくないのですが、だからといって保存や利活用の道筋に課題がないわけではありません。竣工から100年前後経った建物も多く、老朽化に直面しています。さらに、耐震対応のほか、当時の意匠や歴史的価値を守りつつ補修していくには多額な費用が掛かります。独特の間取りや構造のため、利活用の方法にも制限が出てくるでしょう。所有者の高齢化により、自治体に移譲するようなケースもありますが、「誰が」「どのように」維持していくのか。これらに対応するための支援制度や地域との連携がますます重要になっています。
葉山の別荘文化を象徴する「別邸」
さて、場所は神奈川県葉山町。関東大震災以前にさかのぼって、湘南エリアにある唯一の皇族別荘、旧東伏見宮葉山別邸。いまから110年前、1914(大正3)年竣工で明治から大正期にかけて流行した洋風建築の影響を受けながらも、日本的な要素も大切にしている洋館です。宮内省内匠寮の木子幸三郎が設計しており、2017年には国の登録有形文化財になっています。緑青と言われる銅が酸化した深みのある色の屋根と白い外壁が特徴的で、大きな窓と海見えの廊下(サンルーム)からは相模湾が臨めます。最初の“持ち主”である東伏見宮依仁親王の没後も別荘として機能しましたが、戦後、イエズス孝女会による管理運営に引き継がれ、修道院として使われていました。現在は幼稚園の敷地にあり、馴染みのある卒園児や保護者、地域の方も少なくありません。
そんな「別邸」ですが、例に漏れず、維持管理の課題を抱えていました。そこで、立ち上がったのが地域の方々。建築の専門家や地元のまちづくりNPOの方々などの有志が集まり、約1年間の準備期間を経て、今年9月に一般社団法人La Casa Blanca Hayamaを設立しました。現在は、改修工事に着手する段階で、私たちエンジョイワークスも地元企業として、かつ「持続可能なまちづくり」をあちこちで挑戦している立場として、一社の運営にも携わっており、利活用の計画策定も佳境。「この空間をどのように・どんな時に使えるか?使いたいか?」など、さまざまな意見を頂きながら練っています。
9月に実施した改修前最後の「施設お披露目会」には、地元の方や卒園児など幼稚園関係者のほか、こうした洋館や別荘建築に関心のある方が県外からも多く訪れました。私たちも「葉山の宝」であるこの建物を守り継ぐ責任の重さをひしひしと感じています。
「維持保全して守ってほしい」という気持ちはたくさん受け取りましたが、やはり現実問題の壁、資金をどうするか?というところは、こうした活動では避けることができません。この事業では、国の補助金も受けながらですが、寄付やファンド(クラウドファンディング)による調達も計画に盛り込んでいます。そこには、支援をしてくれた人との「コミュニケーション」を続ける意図もあります。自分の寄付やファンドでの投資が、施設の改修や新たな運営にどのように結びついたのか? 応援メンバーの一員として、それを共有できる。まさに「巻き込み型」のプロジェクトに広げていきます。
歴史的価値のある建物の保全や、維持管理の課題解決の手法は「ひとつ」だけではありません。地域で知恵を出し合い、どのような形が最善か? を真剣に議論する。私たちの「別邸」での取り組みが、そんなことを考えるヒントになればいいな、と思っています。
一般社団法人理事、NPO法人葉山環境デザイン集団代表・高田明子さんのインタビューはこちら
https://enjoyworks.jp/times/070/
エンジョイワークスが運営する「ハロー! RENOVATION」での寄付募集記事
https://hello-renovation.jp/topics/detail/25022