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葉山の洋館で暮らす――【前編】運命に導かれた旧足立邸との出会い

Interview 公開日:2025/09/09

相続したが誰も住む予定がない。築年数が古く維持費もかかる。売ろうにも買い手が見つからない——。こうして全国で約900万戸の空き家が生まれ、多くが解体や放置の道を辿っています。しかし、古い建物には本当に価値がないのでしょうか? 「負担」として手放すのではなく、文化的資産として次世代に「使い継ぐ」道はないのでしょうか? 葉山町にある築90年超の洋館「旧足立邸」。1933(昭和8)年、王子製紙取締役・足立正氏の別邸として建てられました。終戦後のGHQ接収、複雑な土地の所有権問題など取り巻く状況が変わる中、現在、この建物で暮らしているのは、柴田大介さん・結さんご夫妻。この洋館との運命的な出会いから購入に至るまで、さらには古い建物を「住み継ぐ」ことの意義を聞くインタビューの前編。(聞き手:エンジョイワークス事業企画部・嘉屋恭子/編集構成:ENJOYWORKS TIMES・佐藤朋子)*後編は次週公開

——まず、足立邸の複雑な所有権の変遷について教えていただけますか?
登記簿を見ると、非常に興味深い歴史が刻まれています。元々この建物は借地上に建てられていたんです。明治時代にドイツ人らしき名前の人が99年の契約でこの土地を買い、その後借地上にこの建物が建設されました。戦後、その契約が終わった後が大変だったそう。土地の所有権が複数の人に分割されていったんです。なんと20人以上の人が権利を持っているという、非常に複雑な状態。これでは売却することもできません。それを、前オーナーが何年もの歳月をかけて、それらの権利をすべて買い集めて一筆にまとめられました。これが売却できる状態になるまでの、本当に大きな準備作業だったと思います。ライフワークのような取り組みだったのでしょう。

旧足立邸は戦後、GHQに接収されていた時期があったそうです。1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した後に接収が解除され、その後5年間ぐらいは管理人が住んでいたとか。興味深いのは、接収中にアメリカ軍の将校が住んでいたようなのですが、なんと靴を脱いで「日本式」で生活していたらしく、そのおかげで床が傷んでいないのです。他の接収された家は、畳を全部剥がして板張りにしたり、壁や床をペンキで塗装したケースが多かったようですが、うちは一箇所だけ床の間が板張りに変わっていただけで、そこがバーカウンターだったと言われています。

——旧足立邸との出会いは?
いまもよく覚えています。2018年7月、とても暑い日でした。当時、長女が生まれてすぐでして、エンジョイワークスの不動産ウェブサイトでこの家を見つけました。都内の賃貸住宅に住んでいたのですが、私自身、学生時代から古い建物が好きで、年月とともに味わいを増すような家で暮らしてみたいという思いがありました。妻も「趣のある古いもの、本物を大切にしたい」という価値観を持っていて、それが高じてアンティークショップに勤務していました。日本の風土に合うよう考え抜かれた本物の洋館に住みたいと考えていて、ここを探し当てたという訳です。

内覧時の印象は強烈で、この敷地は森のようになっていました。ただ、建物の佇まいは今とさして変わりなかったと思います。当時は前オーナーがおひとりで住んでいて、使っていたのはキッチンとその向かいのダイニング、和室のみ。2016年頃から売りに出していたようですが、2年ほど経過しても買い手が見つからなくて、問い合わせがあっても「広すぎる」とか「生半可な気持ちでは買えない」という理由で契約には至らなかったそう。一般の家庭なら広くて200〜300㎡くらいが上限だと思いますが、この家はそれを超えています。建物も敷地も維持管理にお金がかかるというのが最大のハードルだったかもしれません。そのため、取り壊して開発することを前提とした法人からの問い合わせもあったと言います。

敷地の奥に佇む旧足立邸。(写真右)庭には季節の果樹やこんなスペースも

古い洋館や文化財を探している人はいるのですが、より大規模で、建物そのものが既に有名であるような物件、価格帯でいうと10億から30億ぐらいのものを求めているという話を聞きます。プライベートバンクなどがそういった物件を紹介しているようですが、旧足立邸はそれと比べる規模も小さく、中途半端な位置づけにあって、買い手を探すのが難しかったのかもしれません。

私たちも内覧してこの邸宅に惹かれるところはたくさんありましたが、子どもが生まれたばかり。金銭面でも即決することができず、長い目で検討することにしました。そうして1年半近く経った頃、「敷地の開発を計画する法人への売却の話が進みそうだけど、購入は諦めますか?」とエンジョイさんから連絡が来たのです。タイミングとしては(私たちの購入は)本当にタッチの差だったようです。「建物の良さを理解して継承してくれる人に買ってほしい」。そんな思いを持って、前オーナーとエンジョイさんが私たちに声をかけて引き合わせてくれた熱意を嬉しく感じています。

――旧足立邸の魅力はどのようなところにありますか? ‎
まずは、この洋館の配置設計です。建物としての見せ方・見え方もよく考えられていて、例えば、入口から敷地の奥までの高低差。手前から3/4ぐらいのところにあるので、門からは3メートルぐらい上に建っているように見えます。そのため、どっしりとした存在感があります。また、南に向いている面がほぼ全面ガラスになっていて、とても明るいというのも特徴の一つですが、これはもはや現代の建築方法では造れないと思います。竣工した1930年代(昭和一桁)はちょっと暗い時代で、政財界の著名人が暗殺されることも少なくありませんでした。(想像ではあるのですが)そうした背景の中で、都心から離れた葉山という土地に明るく開放的な空間を求めていたのかもしれませんね。

邸内も人間の「サイズ感」に合った設計になっていて、大体脚立に登れば手が届くぐらい。立派さと相まって、入ったときに人間にとってちょうどいい空間になっています。‎こうした使いやすさもそうですが、もともと、財界の有名な方の別荘として建てられているので、時代背景からも「その人の自己肯定感や東京で頑張る活力になるような設計なのかな」と想像しています。

アンティーク家具や調度品の存在がまったく違和感なく、ご夫妻にとっては、まさに「出会うべくして会った物件」

国の登録有形文化財登録を受けることになったとき(2022年に登録)、文化庁の担当者が来られたのですが、「普通の住宅建築より傷みがはるかに少ない」と言われました。旧足立邸は「空き家」にはなっておらず続けて住まわれていたので、劣化の原因となる湿気など影響が少なかったということです。住んでいれば、自然と空気の入れ替えもされて、雨漏りや配管の劣化にもすぐに気付き、傷みが広がるのを防ぎやすい。継承がうまくいった理由の一つかもしれません。木造の住宅建築の寿命は一般的に100年と言われていますが、「空き家にしない」ことも大事なのだなと感じました。

前オーナーにはずっと「“住む人”を見つけたい」という希望があったと聞いています。その強い思いがあったこと。また、エンジョイワークスのような、最後まで諦めない仲介者の存在も大きかったと思います。

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そうして、購入に至った柴田夫妻。住宅ローンでの資金調達にもハードルがあったとか。融資金額の上限を超えており、多くの金融機関に断られ、さらには建物の検査済証などもないため、そこでさらに「お断り」。ただ唯一、古い建物を守りたい――という思いに共鳴してくれた担当者が、「ここで住宅ローンを組めなければ、この建物は壊されてしまう」と奔走してくれたおかげで、融資が叶ったそうです。それぞれの情熱と覚悟が重なり合い、この場所は無事に“受け継がれる未来”へとつながりました。インタビュー【後編】では、実際の洋館での暮らしや、維持管理の実情、そして次世代への継承について深く掘り下げていきます。*9/19公開予定

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葉山町内はかつて、避暑地として皇族をはじめ政財界人や文人たちの別荘が多く点在していました。旧足立邸もそうです。時代を経て、その多くが開発や相続により、解体や売却という道を辿っています。これは別荘邸宅に限った話ではありません。「まちづくり」「葉山らしいまちの風景」という角度で見た時に、それをどのように受け止め、考えていけばいいのでしょうか? エンジョイワークスは6月から毎月1回、「まちとくらしのトリセツ」と題して、まちづくりやこの町での暮らしに関する学びの場を設けています。次回のテーマは「相続」。参加自由の勉強会です。取り組みについては下記を参照。

【まちとくらしのトリセツ 第4回「明日、ウチが相続の対象になるって…!? 意外とヒトゴトじゃないかも」】
日時:2025年9月27日(土)13:00〜
会場:葉山港3F多目的室B(葉山町堀内50)、参加無料
詳細はこちらから。

*エンジョイワークスが「トリセツ」を企画した理由はこちらの記事から。
葉山の「トリセツ」講座、はじまります――“あたりまえ”の裏にあるまちの物語
https://enjoyworks.jp/times/191/

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