ENJOYWORKS TIMES

葉山の別邸だけではなかった…「東伏見」の名称で残る宮家の足跡

New Topics 公開日:2025/01/21

突然ですが…「東伏見」という名称、都内で駅名や地名にあります。その由来は伏見神社の東にあったから…だとか。もう一つ、「東伏見宮家」。室町の時代から600年以上存続する伏見宮家、彰仁親王(第8子)が名乗り、その後、1900年初頭に依仁親王(第11子)がこの宮家を創設するに至ったと言われています。依仁親王には子がおらず、一代で途絶えたのですが、宮家の足跡は、葉山や横浜に残っています。

そのひとつが、宮家の別荘だった「旧東伏見宮葉山別邸(以降:別邸)」。1914年に竣工し、かつては畑や山林を含めて8,566坪の広大な敷地に、洋館和館3棟、付属家、温室、四阿などがありました。戦後の接収もあり大半が民有地となり、湘南の地域で皇族ゆかりの場所として現存しているのが、この別邸のみ。そして、当時の敷地にもその名が継がれているのです。

写真左は、現存する別邸の建物。2階には海見えの回り廊下。当時はここ一帯が宮家の敷地だったそう

別邸の北東裏手、高台にある「東伏見台」という分譲地。住所における地名は「堀内」なのですが、1970年代後半に宅地開発され、「どの家からも海が見える」という余裕のある敷地が特徴です。エリア独自の「地区計画」があり、建築環境協定(邸宅地建築協定)も制定しており、まちなみの維持に住民が力を入れています。分譲地内には「東伏見中央」「東伏見東」「東伏見西」の3つの小さな公園も。戦後払い下げられた皇族ゆかりの土地や建物は、その面影や由緒まで遺されていないものが大半。そんななか、この場所では、「東伏見」の名称への誇りを垣間見ることができるのではないでしょうか。

余談ですが、一代で途絶えた東伏見宮家の祭祀を継承した方がいます。大甥にあたる邦英王(久邇宮邦彦王の第三子)。実子同然に養育していたことから、親王の薨去の際も喪主を務めたそう。1931年、臣籍を降下し東伏見宮伯爵家を創設。その別邸が、葉山の「別邸」から約20km離れた横浜市磯子区の高台にあります。外観はまさに“御殿”と表現したくなる堂々とした存在感。内部は洋風で、階段部分の吹き抜けや天井に描かれた星形の模様などモダンな雰囲気を醸しています。1993(平成5)年には横浜市の歴史的建造物に認定されています。1990年代には、横浜プリンスホテルの貴賓館、レストランとして使われていました。数年前にホテルから大規模マンションに再造成された際も、この建物は大切に残されています(公開や活用は限定的)。こちらは、葉山別邸の依仁親王に直接ゆかりのある建物ではないのですが、皇族や華族の別荘遺構の今を紐解く上でも貴重な存在かもしれません。

こちらは横浜市磯子区にある「旧東伏見邦英伯爵別邸」

本題に戻って…いま、「旧東伏見宮葉山別邸」では、地域をあげて保全と継承の活動が始まっています。皇族別荘という唯一無二の存在だけでなく、「東伏見宮」の名称を引き継ぐ場所や建物に関心を寄せてもらえるといいなと思っています。

「#ベッテイを守ろう」旧東伏見宮葉山別邸の詳細はこちら

 

 

全ての記事 Column (31) Feature Project (42) Interview (16) New Topics (39) Report (6) 自治体共創 (16)

ENJOYWORKS TIMES