大学から社会人にかけて、土木・防災、店の経営、イベント企画、不動産業…と、まちづくりの「外側」をぐるりと回って、現在地は「空き家(空き物件)再生」のフィールドで奔走する合同会社ひと・いきの赤間遼太さん。土台となるバックグラウンドをしっかり固めて今、自らの事業の全国展開の一歩を踏み出そうとしているところです。インタビュー後編は、「不動産×○○」を見据える赤間さんの現在地について。
(取材:EWJOYWORKS TIMES 佐藤朋子)*前編はこちら
――しっかり助走をして、「独立」されたと思うのですが、軸に据えている事業や大切にしている考え方があれば教えてください。
実は、独立して最初に手がけたのは区分マンション1戸のリノベーション再販でした。その事業は1回で終わらせてしまいましたが。関わる人が少なくても済むので、事業としては面白くないなと思ってしまったのです。僕じゃなくてもいいな、と。
次に着手したのが、地方の空き家や古民家の再生。これがもともとやりたかったことでした。場所はまず、広島の鞆の浦から。地方のどこで、というのは特に考えていなかったのですが、まず景色が抜群にいい等エッジが効いているところで、地域の人の営みがある。そして食の文化がある場所。この3つを満たしていればどこでも可能性があると思っていました。学生時代だけでなく社会人になってからも国内のあちこちに足を伸ばして、国内の43~4くらいの都道府県には行っているかな。地方各々の魅力に触れる旅。あとは、会社員時代にリゾートの物件にも携わっていたのですが、収益構造とか見ていくとやっぱり景色が良く、その場所に惹かれて人がやってくる。名だたる「観光地」も見どころはたくさんありますが、今後は地方のほうが、広く可能性があると感じていました。
――「地方の可能性」は、事業家・事業化目線で言うとポテンシャルの再構築とも言えます。その中で富山に注目されているそうですね。
自分が事業を展開する場所を先にがっちり決めていた訳ではなかったのですが、浅草でよく行っていた小料理屋の大将が「いろんな魚を触ってきたけど、富山の魚が一番うまい」「次は富山湾沿いの古民家を買ってそこに住みたい」と言い出して、コロナ禍で自分も暇だったんで「一緒に行きましょう」と現地へ行きました。富山湾と言ってもいくつかエリアがあって魚津や氷見、新湊の3つの場所へ。いろいろ見て、結果的にはその人、買わなかったのですけどね。それが、富山に関心を持つきっかけでした。
街で言うと、氷見は面白そうだなと思ったのですけど、新港地域(新湊)の盛り上がりが物足りない感じが逆に気になって、その時お世話になった人に、「川沿いで物件が出たら教えてください」とお願いをしていました。そこから2年経って去年、「物件が出たよと」と忘れずに連絡をくださって。でも、周りからは「なんで富山がいいの?」って聞かれることも少なくなくて。北陸ではどちらかと言うと金沢のほうに頻繁に行っていたのですが、どっちの魚も美味しいけど、僕はやっぱり富山のほうが合っているなと感じたんですよね。
――物件に出会って、そこから「事業に」というモチベーションはどのように高めていったのでしょうか?
まず「空き家を改修(再生)しなきゃいけない」っていう自分の命題があって、ただ、「使う人がいなかったら意味ないし、地域と孤立していたらそれも意味がないな」とも思っています。「空き家の存在をどうにかしないと、地域の防災力が上がらないから使いましょう。地域にもっと関わってもらいましょう」と大きな声で言っていきたいのですが、その仕組みに仕掛けが必要だとも感じていました。
そんなことを思い巡らせたなかで、これまで両極端の対岸でやっていた「飲食」がマッチするんじゃないか。そこで、自分が作った「ハコ」に飲食の業態を入れることをまず思いつきました。でも、いざ計画を進めていくと、昨今の建築費の高騰がかなり厳しくて。空き家(古民家)を壊して建て替えた方が安いぐらいになってしまって。それじゃ面白くないし、やっぱりその場でのコミュニケーションとか歴史的なものを残したいという思いもあって「一つのハコで複数の事業をやる」と決めました。事業収支を合わせるためにそうするしかなかった、という現実もあったのですが。
そうして開業したのが、長谷の「AKAMA鎌倉」です。実は計画が始まったのは、新湊と全く同じタイミングだったのですけど、こちらを先に動かすことになりました。学生時代から馴染みのある神奈川でも事業を模索していて出合った物件です。住宅街の生活道路から一本入った路地に緑があって、世界観が一気に変わる感じ。それが始めて訪れた時の印象。その場で「ここにしよう」と即断しました。第1号となったAKAMA鎌倉は、これから展開する各拠点のハブとなる役割で、旅館、飲食店(ダイニングバー)、貸し切りバレルサウナの複合施設。意識しているのは、「地域間のつながり」で、不動産・金融の活用と食・健康の3つの軸でブランディングしていこうと思っています。この鎌倉もこれから着手する富山も、「地域の営みの中にある歴史ある建物を、そこに根付く文化や人々の想いとともに、居心地のいい空間として再生していく」という柱は変わりません。
第2号となる富山でのプロジェクトは、もう物件はありますので、融資やファンド(エンジョイワークスの「ハロー! RENOVATION」)などを使って資金調達の手法を考えていこうと思っています。投資型のクラウドファンディングで成功した実績が小さくともできたら、後から追随してくれる人が増えるだろうなと思っていて、その役割も大きいと思っています。
ひとつの案件でも相当大変なのですが、その次というか、いまおぼろげながらイメージしている場所は長野。海側が続いたので。他には三重県の松坂とか宮崎とか。広島の鞆の浦も物件があればいつでも、という気持ちがあります。(故郷の宮城は…)松島とかにあったらいいかもしれないですね、でも、「この地域、まだまだ可能性あるぞ」みたいな場所を先に着手していきたいなと考えています。
施設では海の近くなら漁師さん、山だったら農家さんなど、繋がりを作っていこうと考えています。全国に拠点(AKAMA)がいくつかできたら、そこを巡るツアーもできると思って。食育・職育という切り口もあるだろうし、そういうコンセプトは意識して広げています。やっぱり、大学時代に得た知見だったり経験だったり、自分の発見とかっていうのが、すごく大きな土台になっています。母方の実家が農家で、農業が自分の身近にあって、収穫を喜んだり、旬を感じたり。ただそれが「当たり前じゃない」って気づいた瞬間にすごく怖くなったんです。だから、地域に息づく中で、こういう部分を大切にしたいなと思っています。
――さまざまな視点で「不動産業」を見る機会が増えたと思います。物件に関わる中で感じたこと、自身や業界の視点でもう少し先を見据えて考えていることはありますか?
特に地方で感じたことなのですが、不動産の賃貸や仲介、売買など単一の事業だけでは厳しくなっていくと思っています。不動産屋さんって物件しか見ていないことが多く、それはすごくもったいない。僕もそうですが、M&Aと絡めるとか、「不動産×○○」といった事業のチャンスがあると思っています。「不動産×金融」も当然あって、東京の都心部は物件とお金が集まってきやすいのかもしれないのですが、エンジョイワークスは「地方」っていうキーワードでやっているのが、かなり面白い。だから地域に必要なことに、僕がちょっとでもお手伝いできれば。結果的に、地方で事業規模を大きくしていけばいいので、5物件10物件と実現できるかは未知数ですが、自分で「事業を育てる」という挑戦も楽しみたいと思っています。
――ところで…赤間さんだからAKAMA。名前をブランド名にしてしまった理由は?
僕自身、初めは嫌だったのですけど(笑)、ブランディングをお願いした方が「絶対に赤間(AKAMA)がいい、そうじゃなかったら仕事は受けない」と言われて渋々だったんです。とは言っても、アルファベットのバランスもカッコイイし、サウンズもいいし、何なら今後、地方で展開していくときに「AKAMAをやっている赤間です」と言った方が覚えてもらえるし、今ではこの名字を持った家系に感謝です。
これに加えて、(施設などで使っている)細かい円が重なった事業ロゴなども作っていただいたのですが、僕がやりたい世界観をお伝えして、「地域や人が絡み合っている」ような、とにかく複雑さを表したいというイメージを受け取ってくれた形で、とても気に入っています。会社の名称の「ひと・いき」は不動産業の事業会社なのですが、「人と息と時」が混じり合うようなイメージで、これも全部つながっているなと思っています。
AKAMAウェブサイト
https://akama-inc.jp/
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「まちづくり」という言葉をはじめに意識したのが北京五輪だったという赤間さん。震災による故郷の被災や学生時代の飲食店運営、地方での防災教育…とタテヨコ斜めに、さまざまな目線を持って、たどり着いたのが今のフィールドという訳です。一つひとつの活動を「地に足をつけて」歩んできた様子を話す口ぶりに、とても穏やかでかつ芯の通った性格が垣間見えました。これから展開する施設名の由来にも、ちょっとだけ赤間さんの人柄がにじんでいるように思いました。
■12/14(土)、赤間さんの進めるプロジェクトのオンライン説明会を開催します!
題して「AKAMAの挑戦 鎌倉から富山へ」。18:00開始、参加無料。
詳細はこちらから
https://hello-renovation.jp/news/detail/25229